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2010.11.30 真実はいつでも知り得ない??



気がつけば2010年も残るあと少しになってきました。

振り返ると今年の僕は沢山学んで沢山考え、沢山成長したかなと思えるのですが
逆に考え過ぎて何かがストップしてしまった気がします。

どんなに頑張ってやっきになって勉強をしても
結局何も真実は知りえないな、と思ってしまいます。

ちょっとおこがましい事を言うようですが
ゲーテのファウストと同じ様な心境かも知れませんね。


「1」の物事があったとして
その「1」をどう感じるかは人それぞれ。

その「1」の向こうには「2」もあり「3」もあり、
それらが全て背後にあった末の「1」だと思うんです。

「2」も「3」も知らないのに
「1」を語ってしまうのは良くない事かなと、思いますが
全てを知ることは不可能だとも思うんです。


例えば「犬」を見た時。

可愛いと感じるが多いかとは思いますが
アレルギーのために嫌悪感を抱くのか、
食べ物としておいしそうと感じる人もいれば
単なる「物体」に過ぎない人もいらっしゃるわけです。


僕が個人的にテレビがあまり好きではない、というのもあって
こんなテーマで切り口を広げてしまうのですが
(不快に思う方がいたらすみません)

数年前、世間を騒がせた「騒音おばさん」を覚えていますか??

ワイドショーでおばさんが布団叩きながら絶叫する映像を
何となく覚えている方も多いかと思います。


あの一件、どう感じましたか??

テレビからの情報だけ鵜呑みにしていたら
「なんかすげーおばさんがいるんだな。
隣人の被害者の人も大変だな。」という感想を
持つかなぁと思います。


テレビで取り上げられた映像は
どれもおばさんが絶叫しているシーンばかり。

パッと見た感じ正気の沙汰ではないですよね。

布団叩きながら絶叫したり、
朝から大音量でラジカセを鳴らす。



でもまた別の角度から見てみると

いつもそれらの映像は家庭用ビデオカメラで撮影されていて
ビデオカメラの正面でおばさんは絶叫しているんですよね。

つまりその被害者さんがいつもビデオカメラを片手に
おばさんを正面から撮影している。

おばさんが何と言おうとも撮影者は終始無言です。


例えばあなたの隣人の方が毎日あなたの部屋にピントを合わせて
ビデオカメラを片手に無言で撮影をしていたら
数日と持たないうちに怒りますよね。

そのあなたが怒った時の映像だけピックアップされて
「こいつは正気の沙汰じゃない」だなんて言いふらされたら
どっちが本当の暴力と感じるでしょうか??


確かに騒音おばさんの一連の行動は
あまり感心出来る事ではないと思います。

でもその行動に至った流れには
多かれ少なかれ必ず理由があるはずだと思うんです。

隣人とおばさんの最初の出会い。
それがどういう風に軋轢が出てしまって
おばさんがそういう行動に出てしまったのか。


ネット上で知った話なのでどこまで本当なのかわかりませんが
おばさん自身はいたって普通の方で
他の隣人の方とは普通の近所付き合いをしていたそうです。

ところがその被害者という隣人の方だけ
色々すれ違う事も多くいざこざが生じてしまった。

言い換えればちょっとした価値観の違いが原因で
おばさんの人生は大きく狂ってしまいました。

撮影者の方は名前も顔も公表する事無く
恐らく今でも普通に生活をしているでしょう。


もしこれが本当の話なら
本当の被害者って誰だったんでしょう??

「被害」っていう言葉は絶対値で表せないので
比較して「この人が一番被害受けてる」とは断定出来ませんが
もう何がなんだかわからなくなっちゃいますよね。

真実はもう知り得ないんです。

いや、厳密にいうと全力を挙げれば
知ることは出来るかも知れませんが
その労力は莫大な物になりすぎて不釣合い過ぎます。

そうすると自分は全てを知らないのに
その問題に対して発言する事は憚られますよね。


仮に知ったとしても先ほどの犬の例え話のように
「どう感じるか」は本当に人それぞれです。

同じ様に知り得ない真実は沢山あります。

外交問題、政治問題、人種の事や
歴史的背景も含めた国際問題。

そう考えると「もう何も発言出来ないな」と
近頃は思ってしまうんですよね。

可能ならば全てを知りたいけれど
それらを全て理解するためには
一生かかっても成しえないくらいの労力がかかります。

この気持ちはどういう方向で解決するのかはわかりませんが
いい方向で成長できることを自分に期待をして
残る2010年を過ごしたいと思います。



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